保育士に向いている人・向いていない人

今回のテーマは「保育士に向いている人・向いていない人」についてです。

****************この記事を書いた人****************
上條 友葉先生
【経歴】
短大を卒業後、私立幼稚園、療育センターで勤務しました。現場での勤務と並行して発達障害児者支援に関する学会に複数所属し、現在も学びを深めています。
【資格】
幼稚園教諭 保育士 特別支援学校教諭 早期発達支援士
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自分が保育業務に向いているか否か?というテーマには…保育者を志したその時から保育業務に携わっている間はもちろん、「保育者を目指す学生へ教える仕事へとキャリアチェンジした後…とにかくずっと、自問自答していたような気がします。

「私には向いていない」と逃げ出したくなった学生時代

保育士を目指した理由に多いのは、「あこがれの先生との出会いがあったから」。他には「小さな兄弟や親戚の世話をよくしていたから」「こどもが好きだから」。

私も例にもれず、担任だった先生の姿に憧れ、幼稚園教諭を志しました。いろんな遊びを一緒に楽しんでくれた、私の嬉しい時、悲しい時、気持ちに共感してくれた、隣で一緒にお弁当を食べてくれた…大好きだった先生!

母園での教育実習が決まった時には「あの園の保育を学べる、あの先生みたいになれるんだ」と意気揚々と浮足立ち、やるき満々でした。

ところがいざ現場実習。張り切っていたものの…自分の乏しい実力を思い知らされます。怪我を見落とし、点呼がスムーズにできない、絵本もうまいこと読めないし、手遊びには興味を持ってもらえず、紙芝居は表紙を見せたとたん、子どもたちに「やーだよ」とそっぽを向かれてしまったり。失敗オンパレードだった初回の教育実習でした。

一方で集団の子どもたちを一瞬でまとめ、注目を集める先生方の技術と、厚い信頼関係には目を見張るばかりでした。先生方の言葉、動き、表情ひとつひとつにくぎ付けになり、胸いっぱいの感動がありました。

「この仕事は自分に、向いていないのかもしれない」と相当に落ちこんだことを覚えています。それでも、ずっと昔から保育者になることしか考えていなかったから、進路を変えるとなると大変です。

「できないならできないなりに努力をしろ」と学校の先生、両親からの叱咤激励もあり、私立幼稚園教諭として就職しました。

「保育技術が低い=保育者に向いていない」という考え方で、あまり自分に自信のなかった頃です。

「向いている私になる!」と奮起した1年目

私が就職したのは2011年の4月で、東日本大震災の直後ということもあり世間全体がばたばたしているような雰囲気でした。まだまだ余震も続く中、入園する3歳児の担任の責を預かるということは、とんでもない重圧だったように思います。

地域柄、小学校を受験する子どもも多くいて、求められる指導力は多岐にわたりました。制作、運動、音楽的な表現、その他あれもこれもと自由に遊ぶひまないほど目まぐるしい日々。どうにも円滑にすすめられず、当時は「こんな先生でごめんね」と子どもの帰った保育室でよく泣きました。

めそめそ、右往左往しながら保育し「私、この仕事に向いていないです」とこぼす私へ「向いていない、とあきらめるな。子どもが好きなら、向いている自分になってやると、努力を怠るな」と叱って育ててくれた先輩は、誰よりも怖かったけれど、誰よりも信頼できる人でした。

先輩を裏切らないためにも、先輩に少しでも近づくためにも奮起した1年目。そして何より担任している子どもたちの為にと、がむしゃらだった1年間。大変だったのは確かです。でもあの日々が無ければ、その先の子どもたちとの喜びの日々も、今の「保育内容演習」の授業で語れる言葉もないんです。やり遂げた時、少し自分が好きになれました。

だから今、失敗や挫折の中で「向いていないのかもしれない」「私にはこの仕事はできない」と戸惑っている後輩たちへは、「子どもが好きなら、伸びていけるよ」と伝えたいと思っています。そして、あの時信じて鍛えてくれた先輩を見習い…一緒に頑張りたいという気持ちで、専門学校の先生になりました。

 「この仕事をしてきてよかった!」ようやく思えた3年目

始めて担任した年少さんを、なんとそのまま年長の卒園までを見届ける機会に恵まれました。2年目、3年目…と関係が深まり、子どもを知れば知るほど好きになる毎日は、とても楽しい日々でした。

入園当初、ママがいいと泣いていた子どもたち。卒園するころ、仲間の存在を喜び、自分の役割に自信を持った「もうすぐ1年生」は、大きく、大きく見えました。いつの間にこんなにたくましく、立派になったんだろう…宝物のような子どもたちから「僕たちの先生でいてくれてありがとう」と言われて涙した卒園式。

この仕事をもっと知りたい、先生になって良かった!ようやく納得できた3年目。向いているかいないかは、あまり考えなくなっていました。好きだからするんだと、シンプルに楽しめるようになるまでには…時間はかかりましたが、無駄ではありませんでした。

 

保育者に向いている人 いない人

 

向いているかいないかは、誰が決めることでもなく、私の先輩が言ったように「向いている自分になりたいと思うか」「その努力ができるか」の方が大切かもしれません。

そう思うと、どんな人が保育者に向いているか、いないか…という議論は、10年間現場ですったもんだした経験から言うと、どこか不毛な気もします。

 

誰でも昔は子どもで赤ちゃんだったはずなのに、世間の大人の中には小さな子どもを見ると困った顔をする人がいっぱいいます。あからさまに子どもを毛嫌いするタイプの人もいます。子どもの施設を近隣に作ってくれるな、という声が聞かれる地域もあるほどです。弱さを抱える子どもはこの場にはいられないと、簡単に門を閉める施設があります。

私利私欲のためにこどもを道具のように扱う国があります。まだ小さくやわらかな手に、重たく硬い武器を持たせる国もあります。

 

私たちのように無条件で、どんな子も大切、どの子も宝物…分け隔てなくかわいいと心から言える大人は、どれくらいいるのでしょうか。私たちのように、ただ、子どもを、愛おしく、大切に思える気持ち。子どもの涙を拭いてあげたいと思う心を持つ者がこの仕事に就かず、誰が担えるのでしょう?

 

子どもが笑っていると自分も嬉しくなってしまう…そんな人にこそ「きっとこの仕事が自分に向いている」と信じてこの仕事をしてほしいと思います。

つまり、保育士の素質である、子どもへの愛、強い思いがあるかどうか、です。

 

この記事を書いた先生

  • 保育士科
  • 保育士科 夜間主コース

上條 友葉先生

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